AIについて思うこと

 いいお天気の京都東山です。今日は28℃まで気温があがる予報です。体調管理に注意したいところです。ところで、天台宗総合研究センターでも話題になっているのが、AI技術の著しい発達です。ChatGPTとかcopilotとか呼ばれているシステムで、コンピューターは私たちの知識を遥かに超えて、さらに進化し続けています。

 最近では、スマホやパソコンを利用して、目的の情報をいかに早く見つけることができるのか、その検索力が必要とされるようにも思えます。また、知らなくても恥ずかしくないような気配すら感じます。「検索したらわかるし」みたいな。AIは仏教の知識もかなり優秀になってきました。お経を読んだり、ちょっとした法話もできるのです。これからの時代、いよいよお坊さんもいらなくなってくるのでしょうか?

 私思いますに、AIの不得意なところは、曖昧さがない、想像力がない、応用がきかない、臨機応変さがないといったところでしょうか。お経の内容を検索しますと口語訳が出てきます。それを知識として知ったところで意味をなさないこともあります。いかに、生活の中にとりいれて、お経の意味するところはそういうことか!と実感することが大切です。例えば、観音さまを信じれば、火難から守ってもらえることを知ることができます。ところが、実際の火事だけでなく、炎は怒りや煩悩の象徴ですから、観音さまを信じれば、怒りがおさまるということはすぐにはわからないのではないでしょうか。

 こういうところをお坊さんは日常生活に例えてお話するわけです。そこには、人の表情、声のトーン、オーラとかが入り混じって、聞く人の心に入って実感してもらえるのです。ロボットの合成音声でのお話は、ピンとこない感じがします。

 どうぞ、AIを上手に利用して、その溢れる知識に振り回されることなく、必要な正しい情報を見つけて、自分の考えと智恵とを働かせて、毎日よい一日を暮らしましょう。今日も楽しい一日を。