八坂礼拝講

しゅうぐうさん
 いいお天気の京都東山です。今日も最高気温が38℃予報となっています。繰り返しますが、熱中症などお体にはくれぐれもお気を付けください。

 さて、先日7月20日に京都市東山区の八坂神社で神仏習合の儀式「八坂礼拝講」が奉修されましたが、天台ジャーナル第257号にその記事が掲載されていましたので、抜粋します。

【比叡山延暦寺の僧侶が八坂神社で法要を営むのは天台宗開宗千二百年慶讃大法会御祥当前年の平成17年以来99年ぶり。大樹孝啓天台座主猊下が祭文を奉読され、「法華八講」を修して国家安寧、疫病退散を祈願した。平安京遷都以前に創祀された八坂神社は、明治時代に入るまでは「祇園感神院」や「祇園社」と称し、疫病除けの「祇園さん」と呼ばれ京都の人びとから親しまれてきた。平安時代の天延2年(974) には比叡山延暦寺の末寺となり、翌年には祇園御霊会(現在の祇園祭)が勅祭として斎行されるようになった。元亀2年(1571)の織田信長による比叡山焼き討ち後は延暦寺から離れるも、神仏習合による儀式が営まれてきた文献記録が残されている。一時は断絶するも江戸時代の慶応元年に「法華八講」が復活。しかし明治の神仏分離により再び断絶された。かつては本殿玄関に元三大師像が安置され、京都五箇室門跡の一つ青蓮院門跡との関係を示す資料も遺されて天台宗とは深い関係にあった】続きは、天台ジャーナルにてご覧ください。

 そもそも、雙林寺が805年に創建され、それをきっかけにこの辺りには天台寺院が多く建ったように思います。青蓮院の慈円さまも雙林寺の塔頭にお住まいでしたし、この辺りの寺社仏閣は何かしらの関係があったに違いありません。

 それはそうと、こういった法会があちこちで営まれ、大いなる存在や大いなるおはたらきについて考えるきっかけになるといいように思いました。今日も楽しい一日を。