太宰府天満宮 |
この事件を簡単にまとめますと、彼の才能を妬む左大臣・藤原時平が、道真を罪に陥れてやろうと策略し「道真は国家の政治を私物化している」と醍醐天皇にありもしない事や悪口を何度も告げました。このことにより、天皇も道真のことを逆臣だと思い込み、901年1月20日に道真は太宰権帥として左遷され、筑紫国(福岡県)に流罪となった、ということです。自宅を離れるときに、庭に植えられている梅が咲いているのを見て「東風吹かば匂ひ送来せよ梅の花主無しとて春を忘るな」と詠んだところ、その梅は菅原邸から太宰府の庭まで飛んで行き、そこに根づいたという「太宰府の飛梅伝説」は有名ですね。
道真は無念の思いを抱きながら、2年後の903(延喜3)年2月25日に亡くなります。と同時に、都では落雷の被害が相次ぎ、また藤原時平の急死など不幸が重なります。元々、天神さまはというと、雷よけなど天変地異を除く神さまでしたので、この不幸続きは道真が怨霊となって、都に落雷被害をもたらす雷神になったという噂が都でひろまり、恐れた人々がその祟りを鎮めるために菅原道真を天神さまとして祀るようになったということです。また、比叡山延暦寺ではこの道真の御魂を、第13代天台座主尊意和尚が鎮めたとされています。
その後、菅原道真は学問に優れた人物でもあったことから、天神さまは学問の神さまへと変わりました。ゆえに初天神には時節柄、合格祈願をする受験生たちが大勢参拝されますね。今日も楽しい一日を。