親鸞さまゆかりの地

 朝から雨が降り始めました京都東山です。今日は、「一粒の籾(もみ)が万倍にも実り、立派な稲穂になる」という一粒万倍日ですよ。さて昨日のことになりますけれども、浄土真宗の開祖・親鸞さまがお亡くなりになった日でした。旧暦で11月28日、新暦では1月16日となっています。

 雙林寺周辺は、親鸞さまゆかりの場所があります。例えば、お隣の東大谷祖廟さんは御廟所ですし、青蓮院さんは、お得度されたところです。また、安養寺さんは法然上人から浄土真実の教えを受けられたところとなっています。少し離れますが、三十三間堂東側に所在する法住寺さんには「親鸞聖人そば喰いのお像」が安置されています。比叡山の無動寺谷大乗院にも「そば喰いのお像」はあるのですが、どちらが本物なのかはさておき、このお像にまつわるお話はおもしろいです。

 【親鸞さまが比叡山で修行されていた28歳頃のこと、親鸞さまは、天台宗とは異なる新しい宗教を発願し、毎晩暗い山を下って、京都烏丸六角にある六角堂へお参りに行かれ、明け方になって戻ってくるということを、100日間続けられていました。毎晩暗くなるとひそかに下山される親鸞さまを見て、他の修行僧たちは「都にいる女の所へ通っているに違いない」と噂します。その噂は師匠である慈鎮和尚さまにまで届き、優秀な親鸞さまがそんなことを行っているとはにわかには信じられません。

 そこで、慈鎮和尚さまはある日の夜、「そばを振舞ってやろう」と修行僧らを集めて、出席をとることにしました。「範宴(はんねん=親鸞さまの修行時代の名前)」と呼びますと、「ハイ」という声が聞こえました。「範宴は下山などしていない。やはり弟子たちの間違いだったのだ。」慈鎮和尚さまは安心され、一同にそばが振舞われました。親鸞さまももちろん食べました。

 翌朝、そんなことを知らない親鸞さまが比叡山へ戻ってくると、みんなが驚きます。昨夜いたじゃないかと。まさか親鸞さまが二人いるわけがない。では、そばを食べた親鸞さまは一体誰だったのかということになり、修行僧らは慌てて食堂に行きます。そして、彼らが見たものは、親鸞さまとそっくりで口元にそばが付いている木像だった】というお話です。

 奇想天外な内容ではありますけれども、昼夜問わず修行されていたという親鸞さまの労苦を偲ぶ事ができます。しかし、そのお像の口元には今でもそばがついているのか、いないのか、とても気になるところですよね。今日も楽しい一日を。