浄玻璃の鏡

 曇り空の京都東山です。今日は大安にて、鏡の日ですね。「いい(11)ミラー(30)」の語呂合せから設定されたそうです。鏡は、毎日身だしなみを整えるときなどに使用しますけれども、ちょっと変わった鏡もありますね。たとえば、白雪姫のお話には魔法の鏡がでてきます。「世界で一番美しいのは誰か」と王妃が尋ねると、いつも「それは王妃様です」と答える鏡です。魔法使いが宿っているのでしょうけれども、日本で鏡は「神様が宿る依代(よりしろ)」として、大切にされていたりします。

 ところで、「浄玻璃の鏡」という鏡はご存じでしょうか。私たちは、あの世への途中で、閻魔さまの裁判を受けることになっています。閻魔さまは、私たちの生前の行いや、修行の度合いを調べて、あの世の中でもどこの世界へ送るのかをお決めになるのです。はたして浄土なのか地獄なのか。

 裁判で閻魔さまは閻魔帳を開いて、本人の犯した罪や善い行いの確認をされます。そこでもしもうそをつくと舌を抜かれてしまいます。なぜうそがバレるのかといいますと、そこに「浄玻璃の鏡」という水晶でできた大きな鏡が使われるからです。その鏡には、本人の人生が、生まれてから亡くなるまで、包み隠さず映し出されるようになっています。閻魔さまは、それを証拠映像として判断されるわけです。中には、晒されたくない映像も映し出されるので、その場から逃げ出す者もいるそうです。

 さて、このことは、決してあの世のお話などではなく、現在にも通用するように思えます。普段から自分自身の人生を客観的に考えたり振り返ったりして、自分自身を見つめ直そうということなのですよね。また、デジタル機器が発達した昨今、ほぼ永久的に画像、動画を残すことができます。もしかしたら、何百年後かに「私たちのご先祖さま」などといって、子孫らに鑑賞されているかもしれません。そうなったときのためにも、晒されてもよい写真、動画をたくさん残しておくとしましょうか。今日も楽しい一日を。