西の日

 

阿弥陀如来
 いいお天気の京都東山です。今日は「立春」ですね。玄関に「立春大吉」の御札を貼ったりします。縦書きにしますと左右対称で、裏から見ても表から見ても「立春大吉」と読むことができますので、このお札が玄関などに貼ってあると、鬼が家に入ってから振り返っても同じように“立春大吉”と書かれたお札が見えるので、鬼は「この家にはまだ入っていない!」と勘違いをして逆戻りして出て行ってしまうと考えられているそうです。おもしろいですね。

 そして、今日は「西の日」で、西へ行くと幸運に巡り会うことができる日なのだそうです。2(に)と4(し)の語呂合わせからなのですが、いつだれが定めたのかわからないそうです。なんやそれ?って感じです。仏教徒ならやはり極楽浄土がある方角と思うのが自然でしょうか。

 「阿弥陀経」によりますと、お釈迦さまが、弟子の舎利弗尊者にお話をされます。「ここから西の方へ向かい、十万億の仏の国を超えたその向こう側に、極楽といわれる世界がある。その国には、今もお説法をしておられる阿弥陀さまがいらっしゃるのだ。なぜその世界を極楽というかといえば、その国に住んでいるものは、まったく苦しみというものを受けることがなく、ただ、楽ばかりを受けるのだ。それゆえに、極楽と名づけるのだ」と話は続きます。極楽は、阿弥陀さまが築きあげられた、理想的な世界です。

 清い水をたたえた池、色とりどりに咲ききそう蓮華、金色さんぜんとした大地、宝玉を枝葉とした並木、金銀、瑠璃、玻璃などをちりばめた、天をつく高楼。そして、孔雀やオウムや迦陵頻伽といった鳥たちが、美しい声で鳴きながら飛びかい、さわやかな風が吹き抜けると、木々のさやぐ音が、音楽を奏でているように湧きおこる。そのうえ、おりおりに、香ぐわしく美しい曼陀羅華の花びらが、ふりそそぐ。そして、阿弥陀さまは、宇宙のどこまでもくまなく照らし出すほどの、限りない光を身体から眉間の白毫から発して、極楽もまた夜となく昼となく光につつまれて明かるいのだというのです。

 一刻も早く行ってみたいところですが、これは悟りを開かないと行けない場所だと思いますので、今のところはこのお話から人智を尽くして想像してみることにします。とにかく、早く行けるように精進しないとだめですね。今日も楽しい一日を。