パンタカ兄弟


 寒波到来にて寒い朝を迎えています京都東山です。今年もあとわずかとなり、煤払いに余念がありません。掃除は修行でも大切にされていますが、それはパンタカ兄弟のお話に基づいています。

 お釈迦さまのお弟子さんにチューラパンタカという方がおられ、その兄であるマハーパンタカは頭がよく賢いので、お釈迦さまのお説法をすぐに理解でき、周りからも尊者と呼ばれていました。それに対してチューラパンタカは、お釈迦さまの教えを中々理解できずに気後れしていました。

 「お釈迦さま、私のような愚鈍で智慧のない者は、修行してもしかたないですよね」「いいや、自分は愚か者だと自覚している者を賢者といいます。自分を賢者だと勘違いしている者のことを、真の愚か者といいます」

 お釈迦さまはチューラパンタカに、掃除をすることを勧めます。「塵をとり除こう。垢をとり除こう。塵をとり除こう。垢をとり除こう」チューラパンタカは、毎日毎日この言葉を唱えながら掃除を続けます。そんなある日の夜明け頃のこと、チューラパンタカは物思いに耽りながらハッと気づいたのです。

  • この塵は土埃にあらず、実は欲望を塵というのだ。この欲望を除去するのは賢者であり、怠惰な者ではない。
  • この塵は土埃にあらず、実は怒りを塵というのだ。この怒りを除去するのは賢者であり、怠惰な者ではない。
  • この塵は土埃にあらず、実は迷妄を塵というのだ。この迷妄を除去するのは賢者であり、怠惰な者ではない。

 チューラパンタカはお釈迦さまのこの教えの意味を習得することができました。教えにしたがって修行を重ねることで、三つの毒(貪・瞋・痴)を消滅することができ、悟りを開くことができたということです。

 勉強は大切なのですが、併せて実践も必要ということをこのお話は物語っています。伝教大師さまも、社会で「能く行い能く言う」人こそ、国の大切な宝となり力となる、と仰られています。つまりは、能書きを読んでいるだけでは効果はないということなのですよね。

 そういえば、天才バカボンの「れれれのおじさん」もこういうことで登場してるのかな。今日も楽しい一日を。