無くてもよいもの


 数日の雨が上がって曇り空の京都東山です。さて、いわゆるコロナ禍での自粛生活も長くなり、生活様式が徐々に変わって、お家時間が増えますと、あれこれと考えるようになりました。

 お寺での暮らしは、普段は作務衣を着用し、お檀家さん宅へお伺いするときは法衣で、というように、洋服を必要とすることはほとんどありません。コーディネートを考える必要はないのです。法衣で電車に乗りますと、少しばかり私との間に距離が空くのはおもしろいところではあります。また、坊主頭なので、ヘアースタイルも気になりませんし、ハゲたとしても気になることはないですね。ところで、昔、刑務所の見学会に参加したときの装飾品が何もない真っ白な質素な部屋が強く印象に残っています。

 身の回りにあるモノたちは気持ちを和ませてくれたり、明るくしてくれたりしますけれど、あれこれと悩みの原因になることも確かです。私の趣味じゃないとか言って、家族間の揉め事になったりもします。無れけば悩んだり問題になることもありません。必要なモノに欲しいモノ、さらには、どうでもいいことにムダに悩んでおられませんか。そんなときは、お寺の仏像の前で、それこそブツブツとお話されると、ハッと気づくことがあるかもしれません。今日も楽しい一日を。