今朝は、気持ちのよい快晴の京都東山です。いつもの通り東山トレイルコースを歩いていますと、「山縣公紀念樹」と記された道標があり、気になって調べてみました。その前に、昔は「紀念」と書くのですね、、、。で、紀念樹を拝もうと右に進み、恐らくここに植えられていたであろうと思われる場所にたどり着きましたが、紀念樹がどれなのかわからないことになっていました。その場所から倒れている木があり、もしかするとそれだったのかもしれません。とにかく、わからなかったです。残念。
道標については、京都市のサイトにデータベースがあるので、早速検索しました。そうしますと、「中井三郎兵衛が東山周遊の便にと建立したもので、伊藤博文詩碑の除幕に山県有朋が来京し植えたものではないかと思われる」と書いてありました。
それで、中井三郎兵衛とはどんな人なのか調べますと、中井三郎兵衛(1851-1932)は、明治から昭和時代前期にかけての実業家で、嘉永4年12月生まれ。和洋紙問屋、中井商店社長。明治17年、京都紙商組合をつくる。京都織物、東京印刷、京津電気軌道、王子製紙などの役員をつとめた。府会議員・市会議員をつとめ明治の京都の実業界で重きをなした。かたわら京都を観光都市として発展させるために東山の開発に尽力した。また、将軍塚大日堂を明治41年に建立した。昭和7年3月27日死去。京都出身。とのことです。
大日堂を建立した人なのか。かつて、青蓮院に勤めていましたが、知らなかったです、、、。伊藤博文詩碑も近くにあるようなので、尋ねてみようと思います。今日も楽しい一日を。