国阿上人のことなど

 

開山國阿上人参詣道
 一念坂を抜けて、二年坂へ向かうすぐのところに東へと続く坂道があります。「龍馬坂」とも「幕末志士葬送の道」とも呼ばれていますが、この坂道は正法寺への参道です。通行する人は、ほぼ誰もいないのですが、高低差は32m、斜度10度のそこそこキツイ坂道ですので、体を鍛えるにはとてもいいのかもしれません。登り切ると息が切れ、そこからさらに正法寺へと続きます。

 この正法寺、実は雙林寺とは縁が深く、雙林寺に国阿上人が入寺され時宗に改宗された時代、この正法寺も国阿上人が時宗道場とされたところです。以後、時宗国阿派は、霊山正法寺派と雙林寺派に分かれて相伝され、雙林寺は東山道場として国阿派の本寺となりました。そもそも創建も最澄と伝わっていますので、関係のある寺であったと思います。また、正法寺だけでなく、ご近所の安養寺、長楽寺も同じ最澄創建、国阿上人中興と同じ縁起となっています。

 国阿上人は、播磨國箸崎の大名箸崎国利の子で、俗名を國明といいました。42歳まで足利家に仕え、書写山に入り、源栄大僧正の弟子となり天台の法脈を受けます。その後、天下の勝地である京都を巡拝するときには雙林寺勝行坊大僧正を尋ねよと源栄大僧正に仰せられ、その法類のご縁によって当寺に来られたと伝わります。

 以前、法要に招かれ正法寺へ赴いたのですが、そこからの京都市内の眺望は素晴らしいものでした。しかし、残念ながら現在は閉門中となっていました。

 ところで、明治維新を偲ぶのはもちろん、霊山歴史館へ行かれる時も是非、この坂道から訪れてみてください。しんどいです(笑) 今日も楽しい一日を。