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しょうぐうさん |
僧侶がお経を読むとき、天台宗の場合、多くは法華懺法・例時作法と呼ばれる法要儀式によっています。これらの作法に則ってお経を読んで理解に努めることは、本来、僧侶の中心的な修行方法です。檀信徒の方々が仏壇や霊前でお経を読むことも、略式ではありますが同じ意味があると考えられます。ですから、亡くなった方にお経を読んで差し上げることは、ともに仏様の教えに従って修行をしていることになるでしょう。故人に、速やかに仏様の境地に達していただける(=成仏)ように、ということになるのです。
また、御霊前に参列している全ての方々にお経を聞いていただくことにも同様の意義があります。すぐにその意味を理解できずとも、お経の良い効果・影響は必ずあるとされるのです。お経を読む声は耳から聞こえるだけでなく、からだの毛孔からさえも染み入ってくるとされ、また気が散っていても居眠りをしていても、仏様の道への良い因縁となるのです。
こうしたお経の優れた性質・特質を、お経の功徳と呼びます。そしてこの功徳が、故人に、まわりの人々に、世界中の全ての人々にいきわたりますようにと念ずることを、「回向する」といいます。そこで、お経を読むこと自体を「回向する」というようにもなりました。自分だけでなく全ての人々のためにという気持ちこそが大切なのであり、この気持ちがあって初めて、お経を読む功徳が生ずると考えるべきことと思われます。
われわれの修行中のときには、「お経の意味よりもまず読めるようになること」と教えられて、1日中練習していました。読めるようになってからでも意味を勉強することは遅くありません。ただし、意味を知ったら、その教えをどのように生活に活かすのか?が、大変難しいのです。その実践も必要なのです。例えば、せっかく勉強したダイエットの方法も、実践しないと痩せないということとおんなじですよね。今日も楽しい一日を。