さて、天台宗では「一隅を照らす」「己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり」と盛んに言われていますが、これは天台宗僧侶の修行規則で、伝教大師さまがお書きになった「山家学生式」の冒頭に書かれてあります。
【国の宝とは何物ぞ、宝とは道心なり。道心ある人を名づけて国宝と為す。故に古人言わく、径寸十枚、是れ国宝にあらず、一隅を照らす、此れ則ち国宝なりと。古哲また云わく、能く言いて行うこと能わざるは国の師なり、能く行いて言うこと能わざるは国の用なり、能く行い能く言うは国の宝なり。三品の内、唯言うこと能わず、行うこと能わざるを国の賊と為す。乃ち道心あるの仏子、西には菩薩と称し、東には君子と号す。悪事を己に向え、好事を他に与え、己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり】
この中で、国宝とは、金銀財宝などではなく本当の国の宝とすべきものは、人間だと仰っています。人間にもいろいろな方がおられますが、ここでは、道を求めて止まない真心の持主のことをいいます。「道」とは独り行く我が道ではなく、社会のためによく言い良く行動するという道です。この道を求める心を持っている人のことを菩薩、君子というのだと。
しかし、菩薩、君子といいますと、とても身分が高く品行方正で完璧な人のように聞こえますが、人間にはひとりひとりそれぞれに長所があり、短所もあり、一人で何にもかも出来ませんが、何一つ出来ない人もいないと思います。自分の能力、性格を活かしながら、その場その場で明るく輝く存在になり、世の中の一隅を照らす人間になろう、というのが伝教大師さまのお教えです。こうして国全体が宝で満たされたとき、これこそが仏国であり、浄土であり、極楽そのものになるのだと仰せです。
そのためにもこの教えを忘れないようにして、常に頭の片隅で考えておきたいところです。今日も楽しい一日を。