伝教大師さま

雙林寺にある童形像
 伝教大師さまの経歴について簡単にまとめてある文章はないかとさがしていましたら、天台宗発行の「信仰の手引き」という冊子にこのように載っていましたので、ご紹介します。

 長い日本仏教の歴史の中で、初めて朝廷から大師号を諡られた日本天台宗の開祖、伝教大師さまは、中国天台山にて、天台大師さまの教えを深く学び天台円教ばかりではなく、戒・禅・密を合わせた四宗を修得して日本に帰られ、大乗仏教の一大拠点となる比叡山を開かれました。

 宗祖伝教大師さまは、仏教者としても偉大な方であり人間的にもやさしい謙虚な方でした。15才の時に近江国分寺の行表法師のもとで得度し、最澄と名づけられました。

 その後、奈良東大寺に学んで具足戒を受けましたが、更に学問と修行に専念したいと比叡山に登り、『願文』を著わし、現在の根本中堂となる一乗止観院を建立されました。39才となられた伝教大師さまは、求法のため中国へ渡り、道𨗉(どうずい)和尚より天台法門の書写をさせてもらい、行満座主からは天台大師正伝の天台教学を学び、翛然(しゅくねん)禅師からは禅を授けられました。翌年台州龍興寺にて道𨗉和尚より菩薩戒を授かり、さらに越州峰山道場にて、順暁阿闍梨からは密教の灌頂を受け、無事帰朝されました。伝教大師さまが、朝廷に天台宗公認の願いを出されたのは、翌年延暦25年1月のことでした。

 そして、奈良の各宗派に加えて天台宗にも、毎年2名の者が僧となることを国が認める「年分度者」が許され、同年1月26日、名実共に天台宗が開かれたのです。やがて53才となられた伝教大師さまは、比叡山を大乗仏教専門の寺にすることとし、自らも大乗菩薩戒の菩薩僧となることを誓って、『顕戒論』『山家学生式』を著わされました。

 このように大乗戒壇の建立は、伝教大師さまの悲願ともいうべきもので、それは奈良に栄えた仏教に替わって大乗戒を授けて、『山家学生式』にあるような大乗の菩薩僧を育てようとしたものです。弘仁13(822)年6月4日に56才で遷化され、この大乗戒壇建立の勅許は、その滅後7日目に下されたのです。

 その他、このようなページ、書籍がわかりやすいかと思います。

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