頓阿・西行・康頼供養塔 |
さて、本堂の西側に位置するささやかな3つの塔は、向かって左から、頓阿法師、西行法師、平康頼の供養塔です。いずれも当寺にゆかりの深い人物であるところから、好事家によって建てられたものなのでしょう。
頓阿の石塔には延宝(1673-1681年)と刻まれていますが、3塔同時に建てられたのか、違う年代なのか、他の2塔の建立年代はわかりません。前にある花立ては文久(1861-1864年)と書かれてあります。
江戸時代の各名所図会には、現在の位置関係と同じにこの塔が描かれていますので、おそらく同時に建てられたのではないかと思われます。境内には、頓阿法師、平康頼の墓があったとされていますが、場所は定かではありません。今日も楽しい一日を。
<ご参考>
◇平 康頼(12世紀後半~13世紀前半)◇
治承元年(1177)、平家打倒を企てて失敗し、少将藤原成経、法勝寺執事俊寛と共に鬼界が島に流された。翌年、赦免され帰洛し、雙林寺山荘(現在の東大谷祖廟のあたりと推定される)に隠棲した。宝物集は、晩年、そこで著された。
「康頼入道は東山双林寺にわが山荘ありければ、それに落ちついて先おもひつづけけり。
~ふる里の軒の板間に苔むして おもひしほどは漏らぬ月かな~
やがてそこに籠居して、うかりし昔を思ひつづけ、宝物集という物語を書けるとぞ聞こえし」(平家物語巻三・将都帰)
◇頓阿法師(1289~1372)◇
南北朝時代の和歌四天王の一人にして僧侶。西行法師を慕いこの地を訪れ、草庵を結ぶ。これにちなんで名づけられた「草庵集」は有名。西行の忌日には桜の花を仏前に供え回向したという。
「西行上人住み侍ける双林寺といふ所に庵を結びてよめる」
~跡しめて見ぬ世の春をしのぶかな その如月の花の下陰~
(草庵集巻九、雑歌)