久しぶりに快晴が訪れましたが、いきなり猛暑になる気配がする京都東山です。さて、陀羅尼や真言の意味を教えてください、と聞かれることがありますが、知らなくてもいいですよ、とお答えします。実際、私は知らないですし。どうしてもなら、インターネットで検索されると分かると思われます。
Wikipediaにこのことが書いてありました。まとめますと、そもそも、仏教はインドの古い言葉でしたので、中国においては漢文に翻訳する必要がありました。それを果たしたのが鳩摩羅什や玄奘などです。そこで、仏典を翻訳する際にいくつかの理由から漢文に訳さず、梵語の音をそのまま漢字に写すという、音写という技法が用いられました。音写とは外来語をカタカナ表記にすることと似たような技法です。玄奘は一部の梵語を漢訳せずに音写したことについて、五種不翻という5つの理由を挙げています。詳しくは、Wikipedia「漢訳」の項目をご参照ください。で、陀羅尼、真言を訳さないのは、その中の「秘密故」にあたります。
「秘密故 - 甚深微妙で不可思議なる仏の秘密語であるがゆえに翻訳せず。たとえば、般若心経の最後の一節「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」のような真言・陀羅尼などの語類がこれにあたる」です。
意味が分からなくても仏さまの尊いお言葉だと信じて、繰り返し唱えると心の深いところに何かしら作用するのだと思います。我々も修法の中で念誦といって1000回くらいは普通に唱えます。真言を何度も何度も繰り返し唱えますと、現実とは違う世界が広がったり、懐が広くなると言いますか、細かいことが「それでかまわない」と思えるようになったりします。そして、唱え終わるとなぜだか愉快な気持ちになります。何でもかんでも追及せずに、知らなくてもよいことがあってもいいと思いますけれども。今日も楽しい一日を。