楠木弁財天 |
今日は、耳の痛いお話を。多くの人は、困ったときの神頼みで、調子の悪い時は一生懸命に仏さまを拝みに来られます。ところが、ご利益を授かって調子がよくなってくると、よかったよかったと、それで終わってしまいがちです。ここで、信仰心とは何なのかということですよ。
助けてもらいたいと熱心にお寺へ出向いて勤しんで拝んでいたのに、願いが叶えば、御礼も言わずにそれっきりというのでは、仏さまも何のためにご利益を授けたのだろうと不思議がられるに違いありません。われわれ人間関係においても、困った時だけ頼みにやってくる人を想像したときに思いますよね。この人って調子いいよな、みたいな。
見えない仏さまですけれども、声も聞こえなくて頼りないのかもしれませんけれど、永久不変の大いなる存在として心していないと、仏さまとも人とも普段からお付き合いしていないとだめですよ。今日も楽しい一日を。