八坂神社のことなど

 

祇園社
 今朝は雷雨に見舞われた京都東山です。さて、7月の京都は祇園祭で賑わうのですが、新型コロナウィルスの影響で比較的静かな感じです。しかし、四条通では、祇園ばやしがBGMとして流れ、四条寺町にある御旅所では厄除けちまきが授与されていました。
 祇園祭は、およそ千百年の伝統を有する八坂神社の祭礼で、古くは、祇園御霊会と呼ばれ、貞観11(869)年に京都をはじめ日本各地に疫病が流行したとき、平安京の広大な庭園であった神泉苑に、当時の国の数66ヶ国にちなんで66本の矛を立て、祇園の神さまを祀り、さらに神輿を送って、災厄の除去を祈ったことにはじまります。毎年7月1日の「吉符入」にはじまり、31日の境内摂社「疫神社夏越祭」まで、1ヶ月にわたって、ほぼ毎日のように各種の神事・行事が行われます。

 ところで、八坂神社の発祥はよくわかっておりませんが、天台宗的なことと言えば、元は「祇園社感神院」という天台宗の寺院で、古くは天台座主が寺務を統括する別当(住職)を兼務したという由緒のあるお寺だったということです。現在も千日回峰行者がお立ち寄りになられ勤行をされ、信者の方へお加持を施される場所となっています。

 花洛名所図会を見ますと、薬師堂に元三大師堂、大日塔(仏塔)がありますね。ここの薬師如来(伝教大師御作、秘仏)さまは東山二条にある大蓮寺にお祀りされています。その後、明治の廃仏毀釈によって、感神院は廃寺となり、「祇園社」を八坂神社と名称を改めて、現在に至ってるということです。

 それで、神仏習合の時代に、神社に仕える僧を「社僧」と呼ぶのですが、その僧らは、「祇園の三院五坊」といって、宝寿院・宝光院・神福院、竹坊・松坊・東梅坊・西梅坊・新坊のいずれかに所属していました。廃仏毀釈によって、院坊は取り壊され、僧たちも還俗したようです。

 で、最後になりましたが、雙林寺では、東梅坊におられた僧侶のお墓をお護りしています。今日も楽しい一日を。