大雅堂跡地

 

 今日も快晴ですが、緊急事態宣言にて、かなり人出が減った東山界隈です。さて、かつて、旧雙林寺境内地であった円山音楽堂南西角辺りに「大雅堂」という建物がありました。図絵を見ますと、建物の外観と併せて雙林寺正門もよくわかりますね。写真の「和光同塵之碑」は現在も存在しています。図絵のどこにこの碑が描かれているか探してみて下さい。

 また、現在は無くなりましたが、駒札にはこのように記されていました、、、ここに江戸中期の画家池大雅を記念する大雅堂があった。大雅は享保8年(1723)京都に生まれ、若くから絵に志し、生れつきの天真らんまんな性格と相まって独自の文人画を大成した。また書も独特の趣がある。妻も玉瀾と号する画家で、この近くに草庵を結んで夫妻ともに画業にはげんだ。

和光同塵
 この地はもと雙林寺の境内で、住職謙阿もよく大雅の面倒をみ、大雅はここに筵をしいて絵を売ったという。大雅・玉瀾の没後、門人相まって、木下長嘯子の歌仙堂の遺構を大雅ゆかりのこの地に移して遺品や書画をあつめ、子供のなかった大雅の遺風を伝えるため大雅堂とした。

 しかし明治36年公園拡張のため取りこわされ石碑を残すのみとなった。遺品もまた散失したが、大雅堂に安置されていた大雅念持の観音像や「大雅堂」の扁額等は池大雅美術館に保存されている、、、その池大雅美術館も閉館となり、所蔵品は京都市に寄贈されたとのことです。今日も楽しい一日を。