仇桜

 いいお天気の京都東山です。今日は、一粒万倍日と新月が重なる日です。新月の日は願い事が叶いやすいとされていますから、取り組んでいることが万倍の成果につながりますようにと、お寺へお参りに行きましょう。

 さて、桜にちなんで今日は仇桜のお話です。

【明日と思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは】

 この歌は9歳の親鸞聖人が、仏門に入ろうと決心して、青蓮院の慈円さまを訪ねた時に詠まれたとされています。親鸞聖人が訪れたときは、すでに夜になっていましたので、慈円さまは「今日は遅いので、得度式は明日にしよう」とお応えになりました。

 しかし、聖人は「明日まで待てません」として、この歌を詠まれたのです。「桜の花がきれいに咲いているからといって、夜半に嵐が吹いて散ってしまうかも知れません」桜の花がはかなく散るように、機会を失うことになかもしれないという意味です。

 つまり、自分の命を桜にたとえて、明日はどうなるかわからないから、今すぐお願いしますと懇願されたというのです。その想いに慈円さまは、「この子はただ者ではないな」と思われ、その日の夜のうちに得度式を行ったということです。

「今日できることは今日済ませておく」「あしたのことはわからない」、例えば、明日病気の人をお見舞いに行こうと思っていたら、旅立ってしまわれるかもしれない。そんな感じの諸行無常の世の中です。今日も楽しい一日を。