晴れ空の京都東山です。寒いです。今日は午後から葬式に行ってまいります。棺におさめられたご先祖さまの前でお作法させていただくのですが、ようやく自分の命は間違いなくご先祖さまがおられたからだと思えるようになりました。
そうするとご先祖さまが気になり出しまして、家系図をわかる範囲で作成してみました。親戚の方にも協力を得て、それなりのものができあがりました。そこには、知らない人がたくさんいましたが、それぞれの関係がよくわかりました。遠い親戚はもう他人なのかもしれませんが、たしかに血縁がありました。
このように、両親や祖父母や曾祖父母、誰かが欠けていたらこの人はいないんだなとか、この家族は存在していないんだと、つまりは、自分もここには存在していなかったのかもしれません。
そう考えると法事というのは故人のためだけではなく、残された人々のためにもあって、自分自身の原点を見つめ直し、改めてそのご縁に感謝をするのが一番大切なことであるように思います。
家系図は長い一族の歴史の中のほんの一瞬です。つまり、「ご縁に感謝する」というのは、この家系図に載っていない人たちをどれだけ想像できるのかなんだと思います。それは一族だけではなくて、友人知人、他人のご縁に対しても同じことです。そうすると、ご先祖さまだけではなく、無数のご縁で自分が存在していることに気付けるはずです。それを、「おかげさま」と呼びます。そうやって自分はご先祖さまをはじめ周りの多くの人たちの協力のおかげで生かされているという感覚がもてれば、自然とお互い様、忘己利他の気持ちになれると思うのです。
法事は、退屈なお坊さんの読経を聞く時間だとは思わずに、静かに想像力を働かせる訓練だと思って、法事に参列していただければと思うのです。今日も楽しい一日を。