長喜庵

雙林寺長喜庵
 晴れ空の京都東山です。暦の上では、「立冬」を迎えました。~冬の気立ち初めていよいよ冷ゆれば也(暦便覧)~です。グッと気温が下がって、本格的な冬に向かって行きそうな気配です。

 さて、都林泉名勝図会(1799年刊行)に長喜庵という雙林寺の塔頭が載っています。よく見ますと、中央やや左下あたりに「菊渓」という文字があります。このキクタニは、菊渓のほか、菊谷、菊澗とも表記されます。

 東山の高台寺山と東大谷山との間の谷間に川が流れており、川沿いに菊が自生していました。その菊にちなんで、この辺りを「菊渓」、その川は「菊渓川」と呼ばれたわけです。

 現在も、大谷祖廟の墓地を東へ通り抜け、山道を進んで行きますと、川が流れているのがわかります。川沿いに道があり、東山山頂公園へ通じているのですが、ほとんど誰も通らない道なので、雑草に覆われて、樹木の枝に阻まれたりしたりして、とにかく鬱蒼としています。それでも、道なりに進んでいくと上流になって、最後に水が湧き出ているところに到着します。恐らくこれが源流ではないかと思われます。

 この図会に描かれている水流は、恐らく菊渓川から引き込んだものと思われます。当時は、東山から長喜庵の南側を流れ、建仁寺を通り、鴨川に注いでいたようです。ちなみに、八坂神社南側の地域を下河原町と呼んでいるのは、その河原があった名残だそうです。現在は、岡林院辺りから地下に潜ってしまうので、どこを流れているのかはわかりません。

 建物に座っているお坊さんはここの庵主で月峰といいます。左の鳥居は、おそらく熊野社への参道入り口でしょうか。江戸時代の図会には、雙林寺が載っていて見ていると楽しいです。今日も楽しい一日を。