大仏の日

 昨夜は強く雨が降りましたが、ようやくあがって、曇り空の京都東山です。今日は、新月と一粒万倍日が重なる日です。取り組んでいることを見直して、万倍の成果になりますように。

 そして、「大仏の日」となります。752(天平勝宝4)年、奈良・東大寺の大仏が完成し、開眼供養(いわゆる魂入れの儀式)が行われた日ということです。

 ちなみに、「大仏」と呼ばれるのには条件があって、お像の高さが丈六(約四・八メートル)、坐像の場合は、その半分の八尺(約二・四メートル)以上とされているそうです。

 そもそも奈良の大仏は、正しくは「盧舎那仏(るしゃなぶつ)」とか「毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)」と称しまして、初代のお像は、坐高約16mで、お身体は金色に輝き、螺髪は紺青、唇は赤色だったそうです。

 実はこの仏さまは「宇宙仏」なんです。宇宙というよりも、「大いなる存在」といったほうがいいのかもしれません。目に見えないですけれども、存在しているというなんともわけのわからない仏さまです。なので、仏像があったほうが拝みやすいだろうと造られることになって、何せ宇宙なので大きい方がいいと、デカくつくってあるんだと思います。

 また、この仏さまは沈黙の仏さまで、お説法はされません。その代わりに、お釈迦さまをご自身の分身として真理を伝えるために宇宙の各地に赴かせられたのです。で、よくいう「如来」とは、この宇宙の真理のことを「如」というので、そこからやってきたから、「如来」なんです。

 大仏さまの毛穴から千のお釈迦さまがお出ましになり、そのお釈迦さまが、百億のお釈迦さまを送り出して、その百千億のお釈迦さまが様々なお姿に変身して、われわれにお説法してくださっているのです。もうこの大宇宙にはお釈迦さまがいっぱいおわれるのですよ。

 したがって、私たちの世界に存在するありとあらゆるものには仏性が備わっていて、いろいろな人、モノ、事象などでもって、真理に気付けるわけなんです。自分にとって心地よいものも不快なものも、すべてに仏さまが存在しているので、嫌いなものであっても大切にしなければならないのです。このことによって、あらゆるものが存在してこの大宇宙は成り立っていますから、どれが欠けてもいけないのです。

 簡単にいうと、鮭が入っていない鮭弁当になるということでしょうか。ご飯が入っていない鮭弁当、、、?如何せんうまく表現できませんけれども、ま、そのようなことです。もし大仏さまに参詣されることがあれば、宇宙からのメッセージに耳を傾けてみてくださいね。今日も楽しい一日を。