真葛窯

 

 今日もいいお天気の京都東山です。が、朝晩が冷え込む寒暖のため寒暖の差が激しい毎日です。また連日、お花見を楽しむ人たちで、かなり賑わっています。

 今朝は、宮川香山の足跡をたどっています、というお方が、おまいりに来られました。宮川香山は、宮川小兵衛政一(こへいまさかず)の子孫です。小兵衛政一は、貞享年間(1684~1687)に近江国坂田郡宮川村(現、滋賀県長浜市宮司町)から京都に出て、知恩院門前に居を構え、陶料の商いを始めました。今の場所でいうと、いもぼうさんの近くなのでしょうか?

 五代目に長造という名工が生まれ、窯を開き「真葛焼」が始まります。天保13(1842)年、その四男として、虎之助が生まれ、宮川香山と名乗るようになりました。その腕は評判を呼び、慶応2(1866)年、25歳の時、幕府から御所献納の品を依頼されるまでになったそうです。その後、明治3(1870)年の29歳の時、薩摩の御用商人梅田半之助、実業家鈴木保兵衛らに招聘され、翌年、横浜に輸出向けの陶磁器を作る工房・真葛窯を開きました。

 香山は、9歳の頃から、雙林寺の画僧で義亮から絵と書を学んでいたようですから、作品にも生かされていたのかもしれません。現在は、宮川香山の窯は途絶えてしまい、作品は「宮川香山ミュージアム」で展示されています。また、本家筋にあたる宮川香齋氏は真葛焼の窯元として継承されているようです。

 ということで、宮川香山も拝んでいたであろうお薬師さんを前に、「同じ仏像を拝めてよかった」と感慨深げにお話されていました。

 青蓮院さんがある粟田地域には粟田焼がありますので、この辺りはやきものが盛んだったのかもしれません。調べるといろいろと出てきますね。今日も楽しい一日を。