桜の見頃とは

雙林寺
 いいお天気の京都東山です。今日は「一粒の籾が万倍にも実り、立派な稲穂になる」という一粒万倍日となります。何かを始めるのによい日とされていますが、もともとは「陰徳を積み慈悲を施し、善事を行う日」のことで、種を大切に育てるように、つまり、「積善の家に余慶あり」ということを認識する日なのです。

 さて、雙林寺界隈の桜は満開となっていますが、「桜の見頃はいつなのか」について考えてみたいと思います。桜の開花情報をあちこちで目にしますので、満開が見頃だと思います。私も「そろそろ見頃ですよ(=満開)」などとご案内していましたし。しかし、そうなのでしょうか。

 ところで、開花情報が始まると毎日気になって、なんだかソワソワしませんか。「まだ咲かないな」とか「今見に行かなくては」とか「まだ間に合うんじゃないかな」などなど。自分の予定に桜は合わせてくれませんから、あれこれ迷っているうちにどんどん時間が過ぎてしまい、結局、「思っていた桜を見ることができなかった」みたいなことになってしまったりします。せっかく出かけて行ったのに、満開ではなくて、早かったり、散り始めていたりで、タイミングがずれてしまうことは、あるあるですね。

 だけれども、三分咲きであろうと散り始めていようが、それはそれで美しくはないですか。これから咲こうとするつぼみには春が来たことを感じられ、楽しい気持ちになれますし、散り始めていたって、花吹雪の中を歩くと、ドラマのワンシーンの主人公にでもなったような気になれたりします。

 つまり、桜を見に行くことができれば、いつでもどこでもいいように思います。目の前の桜に合わせていいところを見つけて楽しむことが大切なのだと思います。満開でないといけないというのは自分のこだわりで、ここだけにとらわれすぎると、悔しかったり、残念になって、桜に対して文句たらたらになります。桜には何の罪もないのにね。

 これは、生きていくコツにも通じるように思います。周りに合わせて楽しく過ごせるやわらかい心を持つようしたいものですね。今日も楽しい一日を。