祈願

 

 一段と寒く晴れたり曇ったりの京都東山です。昨日、今年最後の護摩を修しました。参列者の方は、熱心にお勤めされていました。

 天台宗では、現在が連続して未来がやってくるから、未来に起こるであろう苦も楽も、過去から現在における行ないや考え方の善し悪しによって決まるものとされています。したがって、現在の生活において、善いことをどんどん行ない、悪いことは絶対にせず、忘己利他の精神で人のためにつくそうと説きます。そうすると未来の幸福がやってくるわけです。

 けれども、苦難、災難が次から次へとやってくるようでは、このような生活を送ることは難しくなります。そこで、私たちはすべての人々をお救い下さろうとする、仏さまのご誓願のお力におすがりするために祈願をします。

 仏さまにも薬師さま、観音さま、不動さまなどと、たくさんの仏さまがおられ、それぞれのご誓願、お力によって、私たちをお救い下さいます。しかし仏さまが私たちの祈願をかなえて下さるのも、実は私たちが仏道にめざめ、その道にかなった行ないができるようにとしてくださっているのです。ですから、祈願を一時しのぎの便利な方法のように安直に考えてはならないのです。

 祈願によって仏さまのお救いを受け、その後はそのご恩に感謝して信仰を深め、仏さまのお心にかなうような生活を送るように、つとめなければならないのです。祈願後の私たちを仏さまは見てらっしゃるのですね。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ではだめだということか。今日も楽しい一日を。