七難

 よく晴れている京都東山です。今日は大安にて、終い観音となります。観音さまは、観世音菩薩、観音、観世音、観自在などと呼ばれますが、普通は聖観音(しょうかんのん)さまのことです。

 観音さまは「七難から人を守る」とさています。人間が人生で受ける苦難には、七つの種類があるというのです。それを「七難」と言いまして、経典によって違いはありますが、種類としては、火難、水難、風難、刀杖(とうじょう)難、鬼難、枷鎖(かさ)の難、怨賊の難を指します。 この七つの難を受けたときに、観音さまのお名前を唱えると助けられ、その苦難から逃れられるというわけです。

 火難は、火事のこと。 水難は、船が沈没して溺れること。風難は嵐に遭って船が遭難することです。刀杖難は、刀や杖など暴力によって危害を受けることで、戦争も含まれると思います。鬼難は、鬼が襲って来ることです。「観音経」には「船が遭難して鬼の国に流れ着いても、観音さまのお名前を唱えれば、たちどころに救ってくださる」と説かれています。枷鎖の難は、無実の罪で捕らえられることで、枷鎖とは足かせと鎖のことです。怨賊の難とは、盗賊に襲われることです。

 少し見方を変えてみますと、火難、水難は欲望を表していると解釈することができますし、諸行無常で様々な嵐が吹き荒れる、直接的な暴力を振るわれることはないにしても、暴言を吐かれたりすることもあるでしょう。心が刀で切り刻まれる思いもしょうちゅうかもしれません。鬼は自分の心の中に潜んでいます。足かせに鎖は、何かに縛られて自由にできないこと。怨賊は困った問題にぶち当たること。などと解釈することもできると思います。

 お経の文字通り解釈することを「事釈(じじゃく)」といいまして、何かの象徴だ解釈して読んでいくことを「理釈(りじゃく)」といいます。今どき刀を持ってやって来る鬼などいるはずもありませんから、どういうことかと想像力をはたらかせるのです。そうすると、私たちの気持ちの持ちようのことじゃないのかということに気が付きます。迷ったり落ち着かないときは「南無観世音」とお唱えすれば観音さまがそっと手を差し伸べてくださるにちがいありません。他にもあれこれと想像力を働かせて、観音さまにおすがりしてみるとしますか。今日も楽しい一日を。