花洛名勝図会より |
当時の雙林寺正門は現在の芭蕉堂(レンタルきもの岡本さん)の前にあったようです。正門をはさんで向かい側に大雅堂があります。そこから東へ参道が伸びています。参道北側は円山音楽堂になっていますので、当時の建物は何もありませんね。
参道南側を見てみますと、まず、芭蕉堂の隣の茶室はなく、花月庵は西行庵という名称で西向きに建てられています。茶室を建てる時に北向きにしました。後に茶室はお隣の方の管理になり現在は別々です。その隣には菊川石材店はなく、墓地入り口が描かれていますが、藪か何かで墓地は描かれてありませんね。そして、「文阿弥」は、現在工事中の建物となります。そのとなりの「長喜庵」は菊乃井無碍庵から東にかけて建っていたことになりますね。
そして、長喜庵の向かい側に本堂があります。東側に「くまの」がありますが、恐らく、国阿上人が熊野詣に熱心だったので、熊野本宮大社の分社ではないのかなと思っています。現在本堂東側は土塀が建てられ建物は何も残っていません。そして、本堂西側には「頓阿・西行・康頼墓」と描かれてありますので、もしかすると墓だったのでしょうか。現在は、供養塔としてご案内していますけれど。で、その斜め前には法華塚が描かれてありますね。「本堂」、「法華塚」、「頓阿・西行・康頼墓」の位置関係は江戸時代のままですね。
このように、江戸時代の図絵を見ながら、現在との比較もおもしろいと思いますので、どうぞ往年を偲びながらおまいりください。今日も楽しい一日を。