江戸時代の雙林寺図絵

 

花洛名勝図会より
 小雨が降る京都東山です。特別公開も15日(日)まで、残り3日間となりました。もし参拝に来られるようでしたら、1864(元治元年)年に刊行された「花洛名勝図会」と現在の様子を比較されるのも楽しいかもしれません。花洛名勝図会は当時の神社仏閣などが紹介された今でいう観光ガイドブックのようなものです。

 当時の雙林寺正門は現在の芭蕉堂(レンタルきもの岡本さん)の前にあったようです。正門をはさんで向かい側に大雅堂があります。そこから東へ参道が伸びています。参道北側は円山音楽堂になっていますので、当時の建物は何もありませんね。

 参道南側を見てみますと、まず、芭蕉堂の隣の茶室はなく、花月庵は西行庵という名称で西向きに建てられています。茶室を建てる時に北向きにしました。後に茶室はお隣の方の管理になり現在は別々です。その隣には菊川石材店はなく、墓地入り口が描かれていますが、藪か何かで墓地は描かれてありませんね。そして、「文阿弥」は、現在工事中の建物となります。そのとなりの「長喜庵」は菊乃井無碍庵から東にかけて建っていたことになりますね。

 そして、長喜庵の向かい側に本堂があります。東側に「くまの」がありますが、恐らく、国阿上人が熊野詣に熱心だったので、熊野本宮大社の分社ではないのかなと思っています。現在本堂東側は土塀が建てられ建物は何も残っていません。そして、本堂西側には「頓阿・西行・康頼墓」と描かれてありますので、もしかすると墓だったのでしょうか。現在は、供養塔としてご案内していますけれど。で、その斜め前には法華塚が描かれてありますね。「本堂」、「法華塚」、「頓阿・西行・康頼墓」の位置関係は江戸時代のままですね。

 このように、江戸時代の図絵を見ながら、現在との比較もおもしろいと思いますので、どうぞ往年を偲びながらおまいりください。今日も楽しい一日を。