鏡の日

 

 今朝も晴れています京都東山です。さて、今日は鏡の日です。「いい(11)ミラー(30)」の語呂合せから設定されたそうですが、読み方にちょっと無理があるような、ないようなです。鏡から連想されるのは、「浄玻璃の鏡」ですね。

 我々は、あの世へ旅立つ途中で、閻魔さまの裁判を受けることになっています。生前の行いや、修行の度合いによって、あの世におけるどの世界へ送られるのかをお決めになります。浄土なのか地獄なのか。

 その時に、水晶でできた大きな鏡に本人の人生が、生まれてから亡くなるまで、包み隠さず映し出されます。閻魔さまは、その映像と善悪の行動が記された経歴書によって、審議されます。本人尋問も行われますが、噓をつくと舌を抜かれます。中には、見られたくない映像も映し出されるので、その場から逃げ出す者もいるそうです。

 このことは、決してあの世のお話などではなく、現在にも通用するように思えます。デジタル機器が発達した昨今、ほぼ永久的に画像、動画を残すことができます。もしかしたら、何百年後かに「私たちのご先祖さま」などといって、子孫らに鑑賞されているかもしれません。そうなったときのためにも、日頃の言動には注意して、晒されてもよい写真、動画をたくさん残しておきましょうか。もちろん、どこか知らないところに設置されている防犯カメラにも写されていることもお忘れなくです。今日も楽しい一日を。