明治40年に京都の実業家中井三郎兵衛(1851~1932年)が東山将軍塚付近で大日如来の石仏像を発見し、これを安置するため、翌年、大日堂を建立した。とのことなのですが、対の防火水槽には昭和9年8月と書かれてあるので、これは中井三郎兵衛の建物ではなく、何らかの原因で再建されたものかもしれません。
現在の建物は、八坂神社西側にあった弥栄中学校(廃校)の校舎の一部を移築されたもので、平成26年10月、青龍殿が建立される際に、増改築され、大日如来像は青龍殿へ奉安されました。
ちなみに、大日堂から北側は青龍殿と大舞台が建立される際、将軍塚、庭園も併せて整備されました。大舞台からは京都市の北から西方面が圧倒的なスケールで望めます。この青龍殿は、京都北野天満宮前に所在した武徳殿の移築ですが、その保存会の方と雙林寺にはご縁があり、それがきっかけで実現された大事業です。昔から、青蓮院さんとはお隣同士で、慈円さまが雙林寺にお住まいになっていたときから今もご縁が深いということですね。今日も楽しい一日を。