この水道は、明治30(1897)年、防火用水確保のために作られ、琵琶湖疎水の水を蹴上付近で取り込み、京都駅近くの東本願寺までの市街地約4.6キロに直径約30センチの鋳鉄管を埋設して引いている水道だということがわかりました。老朽化で2008年に停水されていますが、東本願寺の堀などの補水にも使用され、さらに防火用水の役割も担っていたそうです。特に、この水道が評価される一番の理由は、蹴上付近と東本願寺との高低差約50メートルを活かし、ポンプなどの動力に頼らずに水圧だけで通水されているところです。設計者は琵琶湖疎水と同じ田辺朔郎で、埋設した鋳鉄管はフランス製。工事には延べ約26万人が携わり、総工費は14万4303円。「当時の京都府の年間予算の25パーセントに相当する」(東本願寺)そうで、この工費を同寺が独力で賄ってまで水道を引いたのは、東本願寺は江戸時代だけで4度の大火に遭ったことから、「明治時代に御影堂などを再建するに当たっては、防火設備が欠かせないとの強い思いがあった」(東本願寺)とのことです(NIKKEI STYLEより)。
いやぁ、こんな水道があるなんて知らなかった、、、。円山公園付近へも東大谷があるからか引き込みが通っているではありませんか。折を見て、この看板の内容に沿って辿ってみるとしますか。今日も楽しい一日を。