むかし、「ピュアラブ」というドラマがありました。僧侶と小学校教諭の純愛を描いたストーリーなのですが、主人公二人の顛末より私は時折登場するお寺での描写が気になってしかたありませんでした。禅宗の陽春さんのお寺での暮らしぶりやお修行中のシーンなどドラマとはいえ興味深いものでした。
そのなかで、食事観念を唱える場面があり、天台宗の作法とは少し言葉がちがうなと思ったことを記憶しています。ちなみに我々が唱えていた言葉を紹介しますと、略作法ですが、
●食前のことば
「われ今幸いに、仏祖の加護と衆生の恩恵によって、この清き食を受く。つつんで食の来由をたずねて、味の濃淡を問わず。その功徳を念じて、品の多少をえらばじ。いただきます」
●食後のことば
「われ今、この清き食を終りて、心ゆたかに力身に充つ。願わくは、この身心を捧げて己が業にいそしみ、誓って四恩に報い奉らん。ごちそうさまでした」
私が特に大切にしているところは「食の来由(らいゆ)」で、目の前の料理がどうやってここに存在しているのかを考えようというところです。お百姓さんが食材を長い時間かけて育てたものを収穫し、運送屋が運んで、お店の人が売り、そこへ家族が買いに行き、料理する。それには調味料があって、その調味料はどうやって作られているのかと…、、、
そういう風に考えますと、どれだけの人と思いが関わって自分のための食事が成り立っているのかということが分かります。もうありがたい感謝の気持ちしかないのです。このことは、食事だけでなく、どんなことにも通じるのではないでしょうか。
天台宗ではお子様向けにこのことをまとめた絵本を発刊していますので、よろしければお求めいただけたらと思います。斎食儀 今日も楽しい一日を。