涅槃会

 いいお天気の京都東山です。今日は、お釈迦さまがお亡くなりになったとされる、いわゆる「お命日」となります。「入滅された日」などともいいます。全国の寺院では「涅槃会(ねはんえ)」が営まれます。天台宗京都教区でも真如堂にて、教区内の住職らが集まり涅槃会が営まれます。「涅槃」という意味は、焚き火が燃えつきたように、全ての煩悩の炎が消え、心の波立ちがおさまり安らいだ状態です。

 そもそもお釈迦さまは、脇からお生まれになり、その直後に7歩ずつ歩かれたと言われていますので、お亡くなりの時も、さぞかし超人的にウルトラマンのように空へ飛んでいかれたのか?などと思ったりしたのですが、いやいや、これが普通の人と同じ最後を迎えられたのでした。

 どういうことかと申しますと、お釈迦さまが鍛冶屋を営むチュンダのところに訪れられたときに、お布施として食事を振る舞われたのですが、その食事がきっかけで、体調を崩されてしまい、北枕で横になられていたのでした。その事態を聞きつけ、弟子をはじめ多くの人々がお見舞いに集まってこられ、また、動物たちも集まりました。しかし、お釈迦さまの体調は快復することなく、大勢の人たちに見守られながら、80歳で静かに息を引き取られたのです。

 このように、われわれと同じようにお亡くなりになられたのです。ただ、変わっていたことといえば、周りにあった4本の沙羅双樹が、お釈迦さまが亡くなると同時に、真っ白に枯れてしまったというくらいです。この時の模様は涅槃図に描かれています。

 また、お釈迦さまは息を引き取られる最後のときに、弟子のアーナンダにお話をされます。「お前たちは自分たちを明かりとするのです。他人をよりどころにするのではありません。仏法を拠り所にして、他を頼ることをしてはならないのです」という「自灯明の教え」を最後に遺されました。

 確かに、この世の中、他人さまを頼ったところで、自分を助けてくれる人はそう簡単にはいません。なので、お釈迦さまは、「しっかりとした自分や心を鍛えて、悪いことをせず、正しい行ないをしなさい」とおっしゃったのです。つまり、人生というものは、自分の努力や心がけ次第で変えることができるのだとおっしゃいます。

 おんさるばしちけいびしゅだらにそわか 今日も楽しい一日を。