朱印

 薄曇りの京都東山です。コロナウィルスも一応の落ち着きで、毎日、雙林寺界隈は外国人観光客で溢れています。中には朱印をお求めの方もおられます。受付で、「ゴシュイン、オネガイシマース」と依頼されますから「notebook please」と応対します。外国人が日本語で、日本人が英語を話すというシュチュエーションです(苦笑)。どこの国の方にも、英語は通じるような感じです。私は超片言の英語ですが、単語を連発すれば、何とかなるの精神です。

 朱印は、もともと写経を寺に納めたときにいただける「納経の証」だったところから変化して「参拝の証」という意味を持つようになりました。したがって、参拝をしないと意味をなさないものです。

 昨今、絵が描かれたり、個性豊かに芸術性が高い朱印が発行されるようになり、それが、インターネット上で売買されるようになりました。寺としては問題視していますが、おさまる気配はありません。仏さまと私たちのご縁の証としても大切にしてもらいたいところです。

 また、参拝記録にもなりますし、朱印帳を見返すと、「そういえば、ここへ参拝したとき、こんなことがあったなぁ」とか、「あれ、ここはどんな寺だったけ?」などと振り返られるのは楽しいひとときです。

 一説には、私たちがあの世へ旅立つときに朱印帳をお棺に入れて持っていくと、手形とかあの世の地図、道標になるとか聞いたことがあります。

 朱印の本来の意味をお考えいただき、たくさんの仏さまとのご縁を結ばれますことをお願いします。今日も楽しい一日を。