百人一首の日

 晴れ空の京都東山です。今日は大安にて「百人一首の日」となります。1235年(文暦2年)のこの日、公家で歌人の藤原定家によって「小倉百人一首」が完成された。ということです。

 百人一首には雙林寺に関わりのあるお二方の和歌も収載されています。まずお一人目は、西行法師です。西行法師は出家後、雙林寺の蔡華園院に住み修行されたと伝わっています。蔡華園院は取り壊されてしまいましたが、今は飛び地境内地に花月庵が存在し、頓阿法師作と伝わる西行法師像(非公開)をおまつりしています。

【嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな】

「嘆け」と言って、月が私を物思いにふけらせようとするのだろうか?いや、そうではない。(恋の悩みだというのに)月のせいだとばかりに流れる私の涙なのだよ。

 そして、お二人目は慈鎮和尚です。慈鎮和尚は、百人一首では「前大僧正慈円」と紹介されていまして、雙林寺の塔頭であった百光院にお住まいでした。百光院の場所は定かではありません。鎌倉初期の天台宗の僧侶で、天台座主に四度も任命されるなど、功績も大きく「愚管抄」を著したことでも有名です。また、歌人としても名高いお方です。青蓮院さんにはお像が祀られています。

【おほけなく うき世の民に おほふかな わがたつ杣に 墨染の袖】

身の程もわきまえないことだが、このつらい浮世を生きる民たちを包みこんでやろう。この比叡の山に住みはじめた私の墨染めの袖で。

 また、昔は雙林寺周辺円山公園一帯を「真葛ケ原」と称していましたが、新古今和歌集に有名な【わが恋は松をしぐれの染めかねて真葛ケ原に風騒ぐなり】を詠まれ、雙林寺界隈が一躍有名になったとのことです。

 このことを雙林寺ホームページで紹介していましたら、同じようなことが書かれてる案内板が立てられました。こちらの方が案内板より先に書いていましたよ!笑。今日も楽しい一日を。