あの世の裁判?

しょうぐうさん
 概ね晴れ空の京都東山です。ぐんぐん気温が上がってきましたよ。今日は20℃を超える予報となっています。お天気番組では一気に桜の話題が増えてきましたね。

 ところで、人が亡くなってから次の世界に行くまで49日間あって、その期間を「中陰(ちゅういん)」とか「中有(ちゅうう)と呼んでいます。いわゆる霊魂があの世に行くでもなく彷徨っている状態とでもいいましょうか。

 49日目の忌明けを「満中陰」といいますが、ここまでの間に、亡くなった人は7日ごとに生前に行った善悪についてお裁きを受けて、次に進む世界が決められるとされています。したがって、遺族らはお裁きの日にあわせて追善供養の法要を営んで、少しでも有利な判決が下されて、極楽浄土に行けるようにとお祈りをするわけです。嘆願といったところでしょうか。

 この考え方がインドから中国に伝わると、7日ごとの裁きには「十王」が裁判官に就くことになりました。五七日はこわい閻魔大王の審判の日ですね。中陰は49日間なので、7日ごと7回のお裁きとなりますが、裁判官は、十王おられますから、あとの三王はどうなっているのかと申しますと、中国では、49日の7回目の最終判決の後に再審が設けられ、百箇日、一周忌、三回忌が加えられました。したがって、合計10回のお裁きとして、十王がそれぞれ審判にあたられています。なんだか、三審制みたいですね。

 そして、これが日本に伝わってきますと、さらに再審回数が増やされまして、三十三回忌まで設けられるようになり、それに応じて裁判官も十三王に増員されました。

 善悪を裁かれるなどといいますと、裁判官は罰しか与えないような印象を受けますが、決して地獄行きの証拠をさがしているのではなく、何とか救ってやりたいという気持ちで溢れています。お裁きに再審制度が設けられたり、私たちの法要を営むことで嘆願できるなどというところにこのお心が伺えますよね。

 このように考えますと、あの世のことかもしれませんが、私たちの生活に置き換えてご先祖さまを生きているかのように思うことで、仏さまやご先祖さまに法要を営んだり感謝を申し上げられるのではないでしょうか。今も比叡山浄土院では、修行僧が生身の伝教大師さまに仕えるごとくに奉仕されています。今日も楽しい一日を。