祇園女御塚

 

祇園女御塔
 薄曇りの京都東山です。さて、雙林寺周辺には平家物語ゆかりの史跡があります。例えば、八坂神社の境内にある「忠盛灯籠」や、「祇園女御塚」です。祇園女御塚は、祇園女御さんがお住まいだった跡地で、雙林寺の西、今の大雲院の北隣に位置します。以前は123平方メートルくらいの空き地に塚と祠が建っていましたが、現在は塚も祠もなくなり、祇園寺という納骨堂と共に祇園女御供養塔が新たに建てられています。
 祇園女御さんについての詳細はわからないそうですが、白河法皇が八坂神社へ参詣されたときに、道のほとりで行幸を見に来ていた女性のようです。法皇は見初められ、宮中にお召しになり寵愛されたそうです。その後、八坂神社(祇園社)の東南の地に住まわされたので、祇園女御と称されるようになったようです。
 女御は、のちに平忠盛の後室となり、清盛を生んだといわれていますが、他説では、平清盛の生母は女御の妹で、清盛が3歳のときに亡くなったので、女御が猶子として清盛を養育したのだともいわれているそうです。
 また一説に、この辺りは、三条天皇中宮妍子または一条天皇中宮彰子の火葬地ではないかともいわれています。
 地元の言い伝えとしては、とかくこの地をさわると祟りや禍が起こると言われていますゆえに、空き地なっていたのだということです。他にも、むかし、この地にあったきれいな石を雙林寺の庭で飾ろうと寺の小僧が持ち出したところ、原因不明の高熱に何日もうなされたという言い伝えもあります。
 いずれにしましても、言い伝えばかりのはっきりしない歴史ミステリーな場所ですね。今日も楽しい一日を。