粟田大燈呂 |
この大燈呂とは文字通り大きな灯篭の山車のことです。その昔、戦国の世に公卿の山科言継卿が書き留めた日記にもそのことが綴られています。「言継卿記」永禄十(1567)年七月二十四日条「粟田口の風流が吉田へ罷り向かうということを聞きましたので、夕方に吉田へ罷り向かいました。大きな灯呂が二十あり、その大きさはおよそ二間(3.6メートル)四方もあり、前代未聞のことで大変驚いた」と。
また、青蓮院に伝わる「華頂要略」には夜渡り神事のことを記して「年毎の祭礼に 〜中略〜 供奉に氏人灯篭をともして、神輿に先行すること数百。さまざまの造り物ありて衆人の目を驚かすにより、貴賎群集することおびただし。誠に一大壮観なり」とあります。
この灯篭の出し物がどのようなものであったかは絵図が残ってはいないため詳細には分からないそうですが、京都造形芸術大学の協力によって、時代に則した形で復興されたそうです。(粟田神社HPより)
花灯路では行灯の点灯に合わせてこれらも光り展示されているだけですが、毎年体育の日前後に行われる神事では夜に粟田神社周辺をこれらの大灯呂が行列に加わり練り歩きます。現代で言うパレードのイメージです。機会がありましたら、お祭りにおこしやす。今日も楽しい一日を。