さて、今日は「八百屋お七の日」の日だそうです。名前は聞いたことがありましたけれど、詳しく知らなかったので調べてみました。1683(天和3)年、18歳で八百屋の娘・お七が、3日間市中引回しの上、火あぶりの極刑に処せられた日だそうです。なぜ火あぶりになったのかいうと、こういうお話がありました。
極刑の前年12月28日に天和の大火があり、お七一家は正仙院という寺へ避難します。お七はそこで働く生田庄之介という男性に出会い恋仲になります。その後、家が再建されて避難生活が終わり戻ることになりました。ところが、お七は庄之介のことが忘れられず、火事が起これば再び寺で暮らせることになり庄之介に会えると考え、放火してしまいます。火はすぐに消し止められたのですが、お七は御用となり鈴ヶ森刑場で火あぶりにされた。というものです。
当時は17歳以下なら極刑は免れることになっていたので、奉行は、お七の刑を軽くしてやる為に「おぬしは17歳だろう」と問うたのですが、お七はその意味がわからず、正直に18歳だと答えてしまい、極刑に処せられることになってしまったいうことです。
そして、お七が丙午[ひのえうま]の年の生まれであったことから、丙午生まれの女性は夫を食うとか殺してしまうなどという迷信が生まれることになり、丙午の年の出産数が少なくなっているということです。そういえば、私の通っていた学校もその学年は半分くらいの人数でしたね。
こういうお七の気持ちは「渇愛」ですよね。もっともっとと求めてしまう自己愛のことです。仏さまの愛は「慈悲」です。自分の為に愛するのではなくて、相手からのお返しを求めることなく無償の愛を与えるということです。言葉では簡単ですけれど、考え出すと深くてよくわからないです。でも渇愛が慈悲に変われば、求めることがなくなるので、楽になれそうですよね。今日も楽しい一日を。