安心

 寒波到来の予報通り雪が降っています京都東山です。が、雙林寺周辺はほとんど積もってはいませんね。今日は今年最後の観音さまのご縁日にて、「一粒万倍日」のお日柄の良い日です。

 さて、今月は「納め〇〇」ということで、仏さまに、ご先祖さまにと、一年間の感謝を捧げに寺へ墓へとお参りに行かれている方もおられるのではないでしょうか。「いつも護っていただいて、ありがとうございます」「大難を小難に、小難を無難にしていただいて、毎日過ごしています」と普段から祈っておられると思います。

 これが本来の信仰ではないでしょうか。ご利益を頂戴するために信仰があるとお考えの方もおられますが、ご利益があるなら信仰しますよとかいろいろ仰る方はおられますが、そうではなくて、これだけのことで済んでよかったとか、毎日悪いことが起こったり巻き込まれたりしていないなと思えるというか、そのように思えたらそれが信仰なのだと思うのですよ。そこに「不思議なことだなぁ」のような感覚を感じれば、何かに護られたとも思えるはずです。護られていると思えると安心が生まれます。その何かが、もしかしたら仏さまじゃないのかということに気づくのではないでしょうか。

 ご利益がほしいと思う気持ちはわからないでもありませんが、子供がおもちゃを欲しがり続けることと同じことです。そういういわゆるご利益信仰から脱却して護られているという安心を得て、気持ちにゆとりのある生活を送りたものですね。今日も楽しい一日を。