今日も曇り空の京都東山です。いよいよ伝教大師1200年大遠忌御祥当法要が始まりました。YouTubeをテレビに映しながら、あれこれ思いを巡らせていましたところ、2019年、新上五島町での伝教大師最澄銅像建立記念式典に参列させていただいたことを思い出しました。このお像は天台宗九州西教区宗務所長さまが中心となって実現した大事業です。なぜ、ここに伝教大師さまなのかは、地元の案内板にこのように書かれています。
最澄(伝教大師) ゆかりの山王山
804年の遣唐使船に乗り込み中国大陸に渡った最澄は、唐の天台山で仏教を学び、翌805年、帰国し、天台系の仏教を日本に伝えるとともに比叡山延暦寺を拠点に大乗の教えを定着させました。最澄は危険な航海からの無事帰国に感謝し、その御礼としてこの山に山王神を勧請したと伝わります。中腹にある断崖の 岩陰に一ノ宮、八合目附近の岩窟近傍に二ノ宮を祀り、その二ノ宮岩窟には多数の銅鏡が奉納されました。宋の時代の舶載鏡から近世期の鏡まで各時代の鏡が発見されたことから、開山以降信仰が続けられていたことがわかります。
中腹の一ノ宮に面する谷奥には「孝行の滝」があります。この滝は水量の多い時に現われる「幻の滝」で、 雨後などに非常に美しい姿を見せます。山王山は標高が439mで新上五島町では2番目に高い山ですが、島内 陸上はもとより沿岸海上からもその山容がよく認識出来ることから、古来より航路目標とされました。
また同時にその美しい山容は「みかさんのう」(三日山王)として信仰対象とされていたことが中世期の「青方文書」などから知られます。この地に山王信仰が根付いたことは、五島列島と遣唐使あるいは最澄を結びつける古代歴史の重要な鍵になる
のではないでしょうか。
2018年3月 新上五島町教育委員会
この案内板にあるオレンジ色屋根建物の向こう側にある雄嶽日枝神社遥拝所前にこの伝教大師最澄像が建てられました。地元住民の方だけでなく、役所の方々など多くの方々が参列され、今も篤く信仰されている山だと思いました。
詳しくはこちらから→ http://www.mizudou.com/sannou/
今日も楽しい一日を。