明智光秀の塚

 朝から雨模様の京都です。さて、明智光秀の最後は、山崎の合戦後、坂本城へ戻る途中に京都小栗栖の竹藪で土民に襲撃され、自刃したということですが、その後どうなったのかは諸説ありますね。首は介錯をした溝尾茂朝によって隠されたとも、持ち去られたともいわれていますが、いずれにしても、首を埋葬したと伝える塚が、京都市東山区三条通白川橋を下がったところに所在しています。ちょうど、行者橋の近くにありますから、併せてお参りされてみてはいかがでしょうか。胴体は、山科区勧修寺御所内町に埋められたと伝えられ、胴塚として残っています。

 現在の塚には、弘化2(1845)年に造られた五重石塔、明治36(1903)年に歌舞伎役者の市川団蔵が寄贈した墓、そして祠があります。祠の中には光秀の木像と位牌が安置されています。

 これらを管理されているのが、塚へ入る路地角にある「餅寅」という天保年間創業のお餅屋さんです。このお店では、桔梗の紋が入った「光秀饅頭」が人気の商品なのですが、和菓子屋ではないと若旦那は言い張っておられます。
 今日は、こどもの日なので、餅寅さんの柏餅とちまきを食べながら歴史を偲んでみるとしますか。「餅寅 明智光秀」で検索するとたくさんヒットします。今日も楽しい一日を。