信は荘厳より生ず

  昨日から再び気温が下がり、寒い底冷え京都です。お隣の大谷さんの境内では、クレーンを使用して老木伐採が行われています。私の幼少の頃に比べますと、円山公園の手入れもあって、かなりの伐採作業が行われ、樹木が減りました。雙林寺本堂前にも法華松と称する松がありましたが、枯れてしまいました。つまりは伐採。
 元々この辺りは東山三十六峰に数えられる雙林寺山と言われ東山の裾野だった思われますが、造成ではないにせよ、樹木が減り店舗、旅館が増える様子を見ていますと、開けていく印象を受けます。風通し日当たりがよくなり、落ち葉も、とゆの詰まりも減ったことはありがたいことですが、今後もこのように景色は変化していくのでしょう。

 ところで、未だに緊急事態宣言は解かれず、参拝者もほぼおられませんので、内陣の掃除をすることにしました。

 「信は荘厳より生ず」という言葉がありまして、内陣でも仏壇でもキレイに掃除が出来て、キチンと整頓されていると、その前に座った時、自ずから手を合わせ、信仰の気持ちが生まれてくるという意味です。仏壇の荘厳は決して単なるお飾りではなく、お寺でもご家庭でも、内陣、仏壇は、仏さまとご先祖のお住まいであるのです。

 聞くところによりますと、お花が枯れていたり、果物が腐っている、はたまた、何の躊躇もなく、違う仏器にお仏飯が盛ってあるなどという風景が見られることもあるそうです。
 寸分狂わず中央にご本尊さまを安置し、左右対称にお花、蝋燭、お供物と並べていきましょう。きれいな仏具が整うと、自分の気持ちも整ってきて、仏さまと向き合えるのです。自分の気持ちが整って落ち着くと、周りの人たちの気持ちも自然と落ち着きます。そんな連鎖で、怒ってる人が少なくなるといいなあと思います。

 そう言えば、お修行の時は僅かなズレでも、とても厳しかったですよ。では、今日も楽しい一日を。

令和3年2月16日11時30分頃二年坂を望む