牛頭天王その1

 疫病退散ということで、テレビなどでは「アマビエ」が紹介されていますが、「角大師」も紹介してほしいなぁと思います。また、八坂神社の隣に住んでいますと、「牛頭天王」も忘れてはならない神様です。

 八坂神社はもともと感神院祇園社と呼ばれ、牛頭天王、薬師如来、十一面観音菩薩を祀る比叡山延暦寺の末寺でしたが、明治の神仏分離によってスサノオを主神とする神社になりました。

 牛頭天王は、疫病をまき散らす恐ろしい疫神であったそうです。しかし、『祇園牛頭天王縁起』には、疫病から人々を守る神様となった説話が見られます。

 北インドのマガダ国に、頭に黄色い牛の面があり、鋭い2本の角があるという牛頭天王がいました。その怖い容貌のために后が見つからず悩んでいたところ、瑠璃鳥が現れ、「遠い南海に娑伽羅龍宮というところがあり、そこに3人の女性がいるから、そのうちの誰かを妻としなさい」というのです。

 早速、牛頭天王は眷属とともに出発するのですが、あまりに遠く長い道のりでしたので、眷属や馬も疲れ果ててしまいました。そこで、夜叉国の巨旦大王という鬼王の宮殿で、一夜の宿を借してくれと頼むのですが断られます。牛頭天王が困っていると近くにいた人が、「ここから東に1里ほどいった所に、貧しいけれども慈悲深い蘇民将来という人が住んでいるから、そこにお行きなさい」と教えてくれました。牛頭天王が着くと、蘇民将来は「狭い家だけれども困っているのならばお助けしましょう」と宿を貸し、残り少ない粟を全て炊いてふるまいました。そして、ようやく龍宮へと辿り着いた牛頭天王は、頗梨采女と結婚し、8人の王子が生まれました。

 牛頭天王は、龍宮でしばらく幸せな時間を過ごしていましたが、北インドへ帰ることにし、帰り道、蘇民将来のもとを再び訪ねました。牛頭天王は「私は将来、疫神となり8人の王子とともにそなたの国で暴れ回るであろう。多くの人が熱病に冒されても、そなたの子孫は必ず守ろう」と告げました。その通り、疫病が流行しましたが、蘇民将来の一族だけは病気にかかることが無かったということです。このようないわれから、「蘇民将来子孫」と書かれた御札や、蘇民将来の子孫であることを示す茅の輪を玄関先にかざると、災厄から逃れられるという信仰が全国に広まり、牛頭天王は疫病から人々を守る神様になったのです。(参照:天台こよみ)

 埼玉県にある竹寺はご本尊として牛頭天王をお祀りされており、今年は12年に1度の大開帳とのことです。できれば疫病退散のお参りに行きたいですね。今日も楽しい一日を。