忠恕

 いいお天気の寒い京都東山です。今年の比叡山から発信する言葉が発表されました。

【「忠恕(ちゅうじょ)」・・・誰に対してもまごころと思いやりを忘れずに】

「忠」中の下に心は、偏らない心でまごころを表し、 「恕」如の下に心は、しなやかな心を表します。忠はまた、まごころを尽くして努めること、恕はやさしい心で思いやることです。忠と恕を心がけましょう。

とあります。

 仏さまの御心というと「慈悲」ですが、慈悲の「慈」は、自分の持っているもの、出来ることを分け与えることで、「悲」は周りの人たちの悲しい気持ちが自分のことのようにわかるということだと思います。その慈悲に基づく行動をしましょうということでしょうか。

 天台宗では、「己れを忘れて他を利するは、慈悲の極みなり」と申しまして、その行動は「一隅を照らす運動」として実践されています。では、具体的にどういう行動なのか、となりますと、これが非常に難しいものです。良かれと思って行ったことが、余計なお世話になってしまうことはよくある話です。

 私は、相手が活躍できるような環境づくりであったり、その方の能力が発揮できるように手伝うことではないかと思ったりしていますが、これもまた難しい話です。「利他学」という学問もあるくらいです。

 ただ一つ言えることは、こういうことを常に頭の片隅に置いて、日々考え続けることが大切のように思います。今日も楽しい一日を。