百人一首の日

 昨夜はよく雨が降り続き、あがって曇り空の京都東山です。さて、今日は「百人一首の日」ですね。文暦2/嘉禎元(1235)年の今日、藤原定家によって小倉百人一首が完成された。藤原定家の「明月記」の文暦2年5月27日の項に、定家が親友の宇都宮入道蓮生(頼綱)の求めに応じて書写した和歌百首が嵯峨の小倉山荘(嵯峨中院山荘)の障子に貼られたとの記述があり、この記事が小倉百人一首の初出ではないかと考えられている、とのことです。

 百人一首には雙林寺に関わりのあるお二方の和歌も収載されています。まずお一人目は、西行法師です。西行法師は出家後、雙林寺の蔡華園院に住み修行されたと伝わっています。蔡華園院は取り壊されてしまいましたが、飛び地境内に西行法師を偲ぶ花月庵が現存し、今も西行法師像をおまつりしています。

「嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな」

「嘆け」と言って、月が私を物思いにふけらせようとするのだろうか?いや、そうではない。(恋の悩みだというのに)月のせいだとばかりに流れる私の涙なのだよ。

 そして、お二人目は慈鎮和尚です。慈鎮和尚は、百人一首では「前大僧正慈円」と紹介され、雙林寺塔頭の百光院にお住まいでした。鎌倉初期の天台宗の僧で、天台座主に四度も任命されるなど、功績も大きく「愚管抄」を著したことでも有名です。また歌人としても名高いお方です。

 「おほけなく うき世の民に おほふかな わがたつ杣に 墨染の袖」

身の程もわきまえないことだが、このつらい浮世を生きる民たちを包みこんでやろう。この比叡の山に住みはじめた私の、墨染めの袖で。

 また、雙林寺周辺円山公園一帯を「真葛ケ原」と称していましたが、新古今和歌集に有名な「わが恋は松をしぐれの染めかねて真葛ケ原に風騒ぐなり」を詠まれ、雙林寺界隈が一躍有名になったとのことです。今日も楽しい一日を。