しょうぐうさん
 どんより曇り空の京都東山です。朝から法事、円山音楽堂の東側では、枯れた樹木の伐採がされていて、クレーン車が来ています。今日は「一粒万倍日」の開運日となっています。今年の目標達成に向けて、あれこれ始めましょう。

 ところで、「私」とは一体どこにいるのでしょうか?これは、現実世界の物体としてのことではなくて、感覚といいますか、意識といいますか、何といいますか。

 たとえば、いろいろな議論がなされるのは「私」という意識があるからです。こちらに「私」がいて、向こう相手には、別の「私」がいるのです。また、こんな場面はどうでしょうか。親が亡くなったときはだれもが悲しむと思いますが、世の中では、多くの親たちが亡くなっています。だけれど、「私」の親が死んだときだけ、悲しいのです。なぜかというと、「私」の親が亡くなったからなんです。

 つまり、むさぼり、怒り、嫉妬、憎しみ、悲しみなどという楽しくない感情は、「私」が生みだしているわけです。逆にいいますと、楽しい感情も「私」が生み出しているのです。では「私」に実体があるのか、ということです。からだは確かに存在しているのですが、よくよく観察してみると、「私」がいると思えるのは五感から感覚があってからなんです。ですから、感じたことを冷静に判断できるようになるとか、ありのまま感じられるようになると、楽しくないことはなくなるんですよ。うまく言えませんけれど。今日も楽しい一日を。