祇園祭

花洛名所図会 祇園社
 どんより曇り空の京都東山です。雨が降りそうです。今月の京都は祇園祭一色となって、活気づいています。

 祇園祭は、およそ千百年の伝統を有する八坂神社の祭礼で、古くは、「祇園御霊会」と呼ばれていました。869(貞観11)年に京都をはじめ日本各地に疫病が流行したとき、平安京の広大な庭園であった神泉苑に、当時の国の数66ヶ国にちなんで66本の矛を立て、祇園の神さまをお祀りし、さらに神輿を送って、災厄の除去を祈ったことがはじまりとされています。山鉾巡行だけでなく、7月1日の「吉符入」にはじまり、31日の境内摂社「疫神社夏越祭」まで、ほぼ毎日のように各種神事・行事が行われています。

 ところで、八坂神社の発祥はよくわかっておりませんが、もともとは「祇園社感神院」という天台宗の寺院で、天台座主が寺務を統括する別当(住職)を兼務されていました。祭神は「スサノオノミコト」ですが、神仏習合では「牛頭天王(ごずてんのう)」で、本地仏は「薬師如来」となります。牛頭天王は、お釈迦さまの聖地である寺院・祇園精舎の守護神で、その祇園精舎の神さまのお祭りなので「祇園祭」と呼ばれています。

 花洛名所図会を見ますと、薬師堂に元三大師堂、大日塔(仏塔)がありますね。ところが、明治の廃仏毀釈によって、感神院は廃寺となり、「祇園社」を「八坂神社」と名称を改めて、現在に至っています。あと、天台関係の話はというと、「山伏鉾」は、天台僧の浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)の山伏姿となっていますよ。

 そのほか、神仏習合の時代に、神社に仕える僧を「社僧」と呼ぶのですが、その僧らは、「祇園の三院五坊」といって、宝寿院・宝光院・神福院、竹坊・松坊・東梅坊・西梅坊・新坊のいずれかに所属していました。廃仏毀釈によって、院坊は取り壊され、僧たちも還俗したようです。

 それで、最後になりましたが、雙林寺では、東梅坊におられた僧侶のお墓をお護りしています。今日も楽しい一日を。